高知地方裁判所 昭和42年(ワ)405号 判決 1969年6月20日
原告
西森秀親
ほか七名
被告
株式会社上岡工務店
ほか一名
主文
被告らは各自原告らに対し各金一四三、四二九円及び之に対する昭和四一年七月三〇日より完済にいたる迄年五分の割合による金員を支払え。
原告らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用は之を二〇分しその各六を被告両名のその各一を原告らの負担とする。
本判決は第一項に限り仮に執行できる。
事実
(原告らの申立)
被告両名は各自原告八名に対し各金二〇万円及び之に対する昭和四一年七月三〇日より完済にいたる迄年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告両名の連帯負担とする。
仮執行宣言の申立。
(請求原因)
(一) 原告らはいずれも訴外西森袈裟吉の子であり、被告会社は土木工事等の請負を業とする会社で小型貨物自動車(高四せ四八八三号、以下本件自動車という)を保有していたものであり、被告上岡は同会社の代表取締役であり、右西森袈裟吉は訴外中越信男外数名の者と共に被告会社に雇われ道路工事に従事していた。
(二) 被告会社はその従業員中越信男に本件自動車を運転させ袈裟吉ら被告会社の人夫の運搬に当らせていたところ、昭和四一年七月二九日午後六時頃右中越は被告会社の道路工事に従事していた袈裟吉外数名を乗せ同自動車を運転して高岡郡仁淀村泉岩屋平村道のカーブにさしかかつた際その運転を誤まり約二〇メートル下の谷に転落させ、それによつて袈裟吉に内臓破裂等の重傷を負わせ約二〇分後に死亡するにいたらしめた。
(三) 右袈裟吉の死亡事故は被告会社が本件自動車を自己の運行の用に供する際に発生したものであるから自動車損害賠償保障法第三条により右事故による損害を賠償する義務がある。
仮にしからずとするも、右事故は被告会社従業員中越信男が被告会社の事業の執行の一端として右自動車の運転をなす際過失により発したものであるから民法第七一五条第一項により同事故による損害を賠償する義務がある。
また被告上岡は被告会社の代表取締役として被告会社に代わつてその事業を監督する者であるから民法第七一五条第一、第二項により右同様損害を賠償する義務がある。
(四) 右袈裟吉の死亡により原告らは次のような損害を受けた。
(イ) 袈裟吉は事故当時六四才で身体は強健で農林業並に鍛治業に従事するかたわら土木工事等に稼働し一日一、〇〇〇円以上毎月二八、〇〇〇円以上の収入を得ており、厚生省発表の第一〇回生命表によると尚一二・四二年の余命があり、その内就労可能年数は六・二年であり、同人の生活費を月額一万円として右総収入より右生活費を控除し且つホフマン式計算方法により中間利息を控除した一、二六八、七八四円の得べかりし利益を失い、原告らは右利益を等分に相続した。
(ロ) 原告らは昭和三八年に母富之を失つて老父袈裟吉のみを有して之に孝養を尽すべく最愛の情を抱いていたものであるところ、本件事故により無残な死に遭遇して精神上深刻なる打撃を受けたので、右精神的苦痛は各自金三〇万円をもつて慰謝されるべきである。
(五) しかるところ右事故につき原告らは自動車損害賠償保険金一五〇万円、労働者災害補償保険法の遺族補償一時金三六四、〇〇〇円を受け原告ら八名が平等に受領したので之を右(イ)(ロ)の各損害から控除すると各自金二五五、〇〇〇円余となる。
(六) よつて原告らは被告らに対し右各損害金中、各金二〇万円及び之に対する本件事故の翌日より完済にいたる迄民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(被告らの申立)
原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。
(請求原因に対する答弁)
請求原因(一)の事実中、原告らが袈裟吉の子であり、被告会社が土木工事等の請負を業とする会社であり、被告上岡が同会社の代表取締役であること並に袈裟吉が中越信男外数名の者と共に被告会社に雇われ道路工事に従事していた事実を認めるが、被告会社が原告主張の自動車を保有していたとの点を否認し、同(二)の事実中、被告会社が中越信男に同自動車を運転させ袈裟吉らを運搬させていた事実を否認し、その余の事実を認め、同(三)の主張を争い、同(四)の事実は不知、同(五)の事実中原告らがその主張の各金員を受領した事実を認めその余の主張を争う。
(証拠)〔略〕
理由
(一) 原告主張の日時に中越信男が袈裟吉外数名の人夫を同乗させ本件自動車を運転し、原告主張の場所で運転を誤り約二〇メートル下に転落させ、袈裟吉を死亡するにいたらしめたことは被告の認めるところである。
(二) そこで右事故の際被告会社が本件自動車を自己の運行の用に供していたかどうかを考えるに、〔証拠略〕を綜合すると次の事実を認めることができる。
(イ) 被告会社は昭和四一年六月頃電々公社より鳥形山無線中継所へ通ずる道路工事を請負い、高岡郡仁淀村字石神に工事現場を置き、被告会社従業員戸梶長喜を現場監督としその他の従業員数名と袈裟吉外十数名の人夫を使用して道路工事に従事していた。
(ロ) 袈裟吉ら人夫の大半は右現場から約三粁はなれた同村字泉部落から徒歩で通勤していたが、前記戸梶長喜に対し自動車による送迎の申出をなした。そこで同人は被告会社に右要望を伝えたが被告会社から之に応ずる措置がとられないまま、同年七月初め頃古味直一から個人として本件自動車を代金三万円で買受け、自動車登録名義はそのままとし且つ車体ボデイー両側に「古味」と表示されてあるまま引渡しを受けたが、自己は運転免許もないところから自己の用に供することは全くなく、同年七月一九日頃より被告会社従業員野々宮義彦に運転させ、前記泉部落と現場との間の人夫の送迎の用に供していた。
(ハ) 本件自動車の管理、運転は戸梶長喜及び被告会社従業員で被告会社所有の自動車の管理運行の仕事に任じていた戸梶賢市の指示により前記野々宮が専ら之にあたり、同人は前記両名の指示するところにより本件自動車の修理を他に依頼する際や給油を受ける際は被告会社の名、本件自動車番号及び戸梶長喜の名を告げてなし、又エンジン修理をする際被告会社の自動車のエンジンと積み換えたこともあり、又更に被告会社の本社で給油したこともあつた。
(ニ) 本件事故の日である同年七月二九日朝は従来通り右野々宮が本件自動車を運転して泉部落より袈裟吉ら人夫十数名を現場迄運搬したが、野々宮は足に負傷を受けて一亘帰宅することにし、その際本件自動車はそのエンジンキーを点火装置にさし込んだまま現場に置いておいた。野々宮は再び現場に戻る予定であつたが結局戻らないうち同日午後五時頃大雨になり、従業員一同終業時間を繰上げて急拠帰ることになり、被告会社石割工中越信男が自発的に右野々宮に代つて本件自動車を運転すべく乗り込んだところ、袈裟吉ら人夫約一〇名も荷台に乗り込んだが同人らは本件自動車を運転するのは従来通り野々宮であるものと思つていた。
(尚、中越は工事現場で同工事のため何回か被告会社のジープ、ダンプカーを運転したことがある)
(ホ) 右中越は同日午後六時頃、大雨のさなか幅員三・五乃至四・八米で悪路であり右曲し且つ右側が崖である本件事故現場附近にさしかかつた際、フロントガラスにあたる強雨のため前方の見透しが度々中断しがちな状態であつたから、運転者としては一時運転を中止するか、より減速して進行すべき義務があるのに之を怠り時速約一〇粁で進行し右にハンドルを切つた過失により本件自動車を右側崖下に転落させた。
以上右各認定事実からすれば、本件事故の際被告会社は前記(ロ)(ハ)の各事実を認容していたことが推認されるし、仮に知らなかつたとしても現場監督である戸梶長喜を通じ本件自動車を自己の運行の用に供していたものというべきである。
ところで、証人戸梶長喜、同山本忠一の各証言及び被告上岡本人尋問の結果中に「被告会社としては本件事故がある迄袈裟吉らが本件自動車で送迎されていることは知らなかつた。事故前人夫から車による送迎の要求のあることを聞いていたが、本件現場は危険なので車の送迎はできないので徒歩で通勤してほしい。その代り歩き賃として一日一〇〇及至二五〇円の歩き賃を出す旨の方針をきめ、このことは戸梶長喜を通じ人夫らに伝えてある筈である」趣旨の供述部分があるが、前認定の戸梶長喜の言動と全く一致せず、また人夫らが右のような通告を全く受けていないこと、また後記のように被告上岡は本件現場に度々出かけている事実からして措信できず、乙一号証の一乃至三も右認定を左右するに足るものではない。また更に、被告上岡本人尋問の結果中、前記中越信男は被告会社の従業員ではなく石割りを請負い、石を被告会社に売渡している者である旨の供述があるが証人中越信男の証言に照らし措信できないし、仮にそうとしても被告会社のため長期にわたり石割り等の業務に従事し現場監督である戸梶長喜の指示に従い業務に従事していたものと認められるから、いずれにしても右判断を左右するものではない。
(三) 次に被告上岡が本件事故による袈裟吉死亡によつて発生した損害を賠償する義務があるか否かを考えるに、前記認定事実によれば、本件事故は被告会社の現場監督である戸梶長喜並に車両係りである戸梶賢市の指示により、連日なされてきた本件自動車による袈裟吉ら人夫の送迎の途中に惹起したものであり、ただ事故の際の運転者が前記両名から運転を命ぜられた野々宮ではなく、石割工である中越によつてなされたとはいえ、同人は工事現場で何回か被告会社の自動車を運転したことがあるものであり、右野々宮の、しいては戸梶長喜の意を帯して運転したものであるから、右運転をして被告会社の被用者による事業の執行というを妨げない。
そして〔証拠略〕によると、被告会社は取締役三名事務職員数名の構成であり、本件現場の職員、人夫の選任監督は代表取締役である被告上岡が直接又は現場監督である戸梶長喜と重畳的になしていた事実が認められるから、被告上岡は被告会社に代わつてその事業を監督する者というべきである。
(四) よつて原告らの受けた損害について考えるに、
(イ) 〔証拠略〕を綜合すると袈裟吉は死亡当時六四才であつたが身体強健で年間約六ケ見を田畑約八反の耕作に、約二ケ月を鍛治職に、その余を人夫の仕事に従事し月額平均二八、〇〇〇円の収入を得ていたことが認められ、そのうち半額の金一四、〇〇〇円が同人の生活費とするを相当と考えられるところ、第一〇回生命表によるも同人の余命は一〇年余で少くとも死亡後四年間は右収入を継続し得たであろうと考えられるから同人は右合計金六七二、〇〇〇円より右死亡時迄の年五分の割合による中間利息をホフマン式計算方法により月別に算出して控除した金六一一、四三四円の得べかりし利益を喪失し、原告ら八名は子として之を各自金七六、四二九円宛相続により取得したことが認められる。
(ロ) 〔証拠略〕によれば、原告らは母に先き立たれた父の無残な死に遭い精神的苦痛を受け、その程度は一般人がその父の不慮の死により受ける精神的苦痛に必ずしもおとるものと考えられないから、少くとも原告らの主張する各金三〇万円はその慰謝料として少くとも多としない。
(ハ) しかるところ原告らは右損害につき合計一、八六四、〇〇〇円の弁済を受け原告らが平等に受領して同金額が控除さるべきこと原告らが自認するから、之を右(イ)(ロ)の合計各金三七六、四二九円から控除すると金一四三、四二九円となる。
(五) よつて原告らの被告らに対する本訴請求中、各自右金一四三、四二九円及び之に対する本件事故の翌日たる昭和四一年七月三〇日より完済にいたる迄年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから正当として認容し、その余の部分を失当として棄却し、民訴法九二条一九六条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 浅野達男)